Nasty Lovers

 泉原はデンビ町の下宿へ帰る積りであったが、どうした訳か横丁を曲らずに、幅の広いなだらかな、堤防を歩いていた。両側の街樹は枝葉を伸して鬱蒼と繁っている。目をあげると、潮の満ちた川の上を、白鴎の群が縦横に飛びまわっている。夏の夕暮は永く、空はまだ明るかった。
 泉原は人気のない共同椅子に疲労れた体躯を休めて、呆然と過去った日の出来事を思浮べた。斯うした佗しい心持の時に限って思出されるのは、二年前彼を捨てゝ何処へか走ったグヰンという女であった。彼女は泉原の不在の間に、銀行の貯金帳を攫って行方を晦まして了ったのである。泉原は女の不貞な仕打を憎んではいるけれども、そのような事になったのは彼女の虚栄からホンの出来心でやった事で、決して心から悪い女ではなかったと、今でも確く信じている。その後女はどうなったか、泉原はすこしも知らなかったが、彼が彼女を忘れ得ないように、女も何彼につけ、泉原を忘れ得ないであろう。それ程二人には深い様々な記憶があった。

 坂の多いサンフランシスコの街々は自動車に乗っても電車に乗っても、目まぐるしいように眼界が転回する。八層、十層の高楼も、たちまち眼下に模型の建築物のように小さくなってしまう。
 雨の日は建物の地肌で赤く黒くそれぞれの色彩を保っているが、晴れた日は一様に黄色い日光を浴びている。
 高台の電車軌道の大きく迂回しているところから左へ行くと、金門公園がある。
 太平洋沿岸の旅を終わって、日本へ帰る便船を待ちながらP街の『柳ホテル』に滞在していたわたしは、ある早春の午後、その公園の疎林の中を歩いていた。枝ばかり残った枯れたような木々も、傍へ寄ってみると明るい空にいつか新芽を吹いている。
 わたしは静かな小径を抜けて、水族館前の広場に出ようとした。その時、
「もしもし、失礼ですけれども……」
 と、不意に呼びかける者があった。

捕らわれた、君よ
ガンジよ
苦しい心で、一途な心で
祈る私の――見知らぬ私の
心を素直に受けてくれるか

私はいま
空を抱きしめて祈っているのだ
地に跪いて祈っているのだ
魂からなる、涙でもって祈っているのだ
生きんとするもの
飛ばんとするもの
そうした者の道はいつでも
暗い牢獄へつづいているとは
知りながら